(一)
それじゃあ、と化粧直しを終えた赤司は扉の向こうに消えた。
ドアが閉まると同時に、部室に残った面子が一斉に俺を見た。面子というのは実渕、葉山、根武谷。口を開いたのは実渕だった。
「ねえ、黛さん……」
俺は自信を持って答えた。
「デキてる、絶対」
一瞬、間があった。
「マージーでー?」
葉山が声を上げると、
「いーのかよ、それ」
と根武谷が常識的なコメントをした。
「今のだってそうじゃねーか」
洛山の文化祭を見るために、緑間は東京から京都の洛山高校までやってきた。その緑間を、赤司は、近くの駅まで送ってくる、と言って出て行ったのだ。
「はるばる東京から来てくれたら、見送りくらいすんだろ?」
俺はすかさず根武谷に言い返した。
「わざわざあの格好で行くことはないだろ」
赤司は舞台衣装のまま、今日行われていた将棋部の出し物にも参戦していた。そろそろ着替えるのかと思えば……、
「そうよねぇ」
『化粧を直してくれないか、実渕』
緑間を見送りに行ってくるから、と部室に戻ってきた赤司は、次いでそう言った。
『え?』
まさかそんな理由で化粧直しを頼まれるとは思っていなかったのだろう。実渕の驚きは声に漏れていた。
『汗をかいたら化粧直しをしろと言ったのは実渕だろ?』
赤司は首を傾げた。その様子を傍から見ていて、
(ああこれ試合中も時々あったやつだな)
赤司はテンションが上がってくると、通常の彼からは想像のつかないことをする(例、去年の決勝戦アリウープ)。この状況で冷静だったら、化粧直しではなくすぐさま着物を脱いだことだろう。
「真太郎クンかぁ」
実渕は信じ難いと言ったような口調で言った。
「まあ、ラッキーアイテムっとかなんとかいう変なもの持ち歩かなければ、外見は全く問題ないし、征ちゃんから聞いた話からすると学力も申し分ないらしいし」
「いや、そこじゃねーだろ」
試合前は人外扱いされてばかりの根武谷だったが、見かけによらず常識人だった。
「じゃああれかな、赤司って頭良過ぎるから、かえってそういう風になっちゃったとか?」
常識人とは言い難い葉山だったが、見かけによらずノーマルな発言をした。そして、その葉山の背を実渕が思い切り叩いた。ビシっという良い音がした。
「いっっったいよ!」
「アンタが失礼なこと言うからでしょ! デリカシーの欠片もないんだからっ!」
「だってー」
葉山は不満げに口を尖らせた。
「アンタは征ちゃんの幸せを考えないの!?」
実渕の剣幕に気圧され、葉山は身を反らした。
「……あかしのしあわせ」
「そうよ! 征ちゃんはお家が財閥っていう特別なお家の子なのよ? そんなところに生まれついたら財産目当ての人がうようよ寄ってくるに決まってるじゃない!」
そうだ実渕、その通りだ。
「それがよ?! お付き合いしてるかもしれないのが、緑間クンなのよ? 凄いじゃない!」
(全くだ)
支持者である俺は、心の底から実渕に同意した。だが、根武谷はまたしても常識を持ち出してきた。
「いや、お前、凄いってなんだよ。意味わかんねーよ」
確かにそうだ。凄いだけじゃ伝わないぞ、実渕。もうちょっと具体的に、
「純愛だって言ってんの!」
雷に打たれたように葉山と根武谷は凍りつき、俺の心は震えた。
(純愛……)
まさかそんな単語が持ち出されるとは。
(実渕、むしろお前が凄いよ)
よくこのタイミングでその言葉出せるよな。キャラ得だよお前。
「え、えーと」
葉山は『純愛』という衝撃的でかつ男子高校生には似つかわしくない単語に続く言葉を、何と発していいのか迷い、それでも、あ、と何かを思いついた。
「じゃあさ、黛サン」
「何だ」
「緑間ん家とかどうなってんの?」
「どうって?」
「家柄?とか身分?とか釣り合ってないとやばいんじゃないの? 赤司家、財閥じゃん」
「純愛に身分なんて関係ないわ」
自信満々に実渕が答える。
「えー? でもさぁー」
葉山が言い返したい気持ちもわかる。愛だけで生きれれば誰も苦労しない。そして俺もそこは気になった。そして調べたのだ。
「緑間の父親は医者だ。父方は代々続く医者の家系で、出身は沖縄、母方の出身は信州だそうだ。緑間本人も医学部に進学する予定だ」
俺がすらすらと答えると、実渕が呆気に取られたように俺を見つめた。
「……詳しいのね」
「まあな」