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■九歳、十歳 (冒頭抜粋)
「今日はここまでにします」
教師の言葉に、クラスメイトは次々と席を立った。そんな中、タイガは記憶を頼りに書き出したノートを眺めていた。歴史と生物はレポート、語学はエセーとジャーナルとサマリーにWEB問題集。
これはまずい。非常にまずい。
これらを明日まで終わらせて、明後日の金曜日に提出しなければならない。
あと4日あると考えていた月曜日に、戻れるものなら戻りたかった。
タイガはすべての授業をESLで受けていた。
ESLは英語を第2言語とする生徒を集めて授業を行うクラスである。現地の小学生が通常受けている授業の内容を、分かりやすい英語に噛み砕いて教えてくれる。クラスメイトの出自も韓国、中国、インド、メキシコ、ブラジルなどさまざまだ。
つい三ヶ月前まで日本で生活していたタイガは、ヒヤリングもライティングもアメリカの幼稚園児以下だった。そのため、まず初級ESLクラスに入れられた。そこでは英語の歌を覚えたり、簡単な英単語を覚えた。宿題も単語の書き取り、幼児向けの本の音読程度だった。そのレベルは楽勝だった。
初級クラスの卒業試験をクリアし、今月からは中級クラスへ移動となった。宿題の量が一気に増えた。問題集や書き取りは、帰宅してから取り組んでいた。だから数学と英単語は終わっていた。レポート系の宿題は、図書館に行って調べなければならなかった。それが億劫で、あと4日以上あるしと考えて、後回しにしてしまっていた。語学のWEB問題集は、やらなければやらなければ、と思いつつ、できていなかった。
クラスメイトに混じって教室を出た。自然と歩く肩が落ちていた。
その垂れた肩を、誰かが軽く叩いた。
「ハイ、タイガ」
タツヤだった。2ヶ月前に知り合った、タイガと同じ日本人だった。
「アーユーファイン?」
「のー、あいむのっと……」
「そうみたいだね。宿題?」
「ざっつらい。ありえねーよ、もう」
「大丈夫、タイガならできるよ」
「そりゃーさ、やればできるんだけどさ」
時間を掛ければ出来るだろう。けれど、今はその時間が惜しかった。
タイガはバスケットボールに夢中だった。
それまで学校に来ても話し相手もなく、悶々と過ごす日々だった。しかし、タツヤに誘われてバスケを始めると、挨拶程度の英語しか話せないというのに、たちまち友だちができた。バスケがうまくなればなるほど、話しかけてくれる人が増えた。
昨日の放課後も、学校のコートでいろんな相手とバスケをした。友人の一人、ニックには僅差で負けたので、明日は勝つからな、とリベンジを誓っていた。たまっていた宿題のことなど、すっかり忘れていた。
「今日も、下手すれば明日もコートに行けねーかも」
「バイオレットのホームワークが出たんだな?」
タイガは頷いた。
バイオレットというのはこの学校では古株の語学の教師だった。彼女のクラスは宿題の量が多いことで有名だった。古株の割りに彼女はWEBで問題集を作るという意外な一面を持っていた。
「噂には聞いてるけど、どのくらい難しいんだい?」
「なんつーかもう、どのくらいっていうか」
タイガは前回の宿題の状況について説明した。
タイガは語学の中でも文法が特に苦手だった。先日、宿題と指定された範囲のWEB問題は文法を苦手とするタイガでは全く歯が立たず、母親に手伝ってもらった。
この問題集は回答が終わると即座に点数が出る。間違った問題に基づいて、基礎コースが自動的に追加される。基礎コースで間違えると、超基礎コースが自動的に追加される。間違えるたびに宿題が増えていく作りになっていた。前回の宿題を解いている途中、このマウスクリック作業が永遠に終わらないんじゃないか、と半ば本気で考えていた。
母親の協力があっても全問解答するのに2時間掛かった。これが小学生レベルの宿題なの、と母がため息をつくほどの量だった。
ふうむ、とタツヤが顎に手をやった。
「タイガ、僕も宿題出てるし、今日は図書館で一緒にやろう。教えられるところはヘルプするから。今日終わらせて、明日はバスケしような!」
「サンクスタツヤ!」
何ていい奴なんだろう、と心の底から思った。