■(一)
「行くぜー」
「おー」
「せーのっ」
掛け声に合わせて、一列に並んだモップが進み出した。栄治大バスケ部のコート清掃は週当番制で、今週は火神のいるAチームが当番だった。
火神はモップ掛けをしている時間を結構気に入っていた。部活後の火照った体をクールダウンするのにちょうど良く、部活で指摘された内容を振り返る時間にも当てることができたからだった。
『判断が遅い。相手の裏の裏を考えろ。勘だけで行くな』
今日は堂島ヘッドコーチにそう指摘されていた。ディフェンスは相手の動きをどれだけ先読みできるかが勝負の分かれ目。ディフェンスは頭脳戦でもあった。頭脳戦は火神がもっとも苦手にしている技術であり、そこを勘任せにしていたのがバレたのだった。
軽くため息をつくと、ディフェンスですか、と隣でモップを並べていた黒子が、すぐにその理由を言い当てた。趣味が人間観察という彼は、チームメイトに対してもその趣味を大いに活用していた。
「ああ」
黒子は大学一年の頃は選手としての活躍の場は少なかった。だが、二年になった今では、選手としだけではなく、チームの頭脳としてチームメンバーやコーチ陣からも信頼を寄せられていた。
「実戦を多くこなすのが最速で学べるでしょうけど」
「そうなんだけどな」
学内の部活メンバーの動きの癖を覚えてしまっていた。実戦を積むには、学外相手でなくてはならないのだが、最近はそれでも難しくなっていた。
「君の場合、選抜メンバーですら顔見知りですし、やはり君は国外に行くのが正解です。――コーチたちの心配もわかりますが」
黒子は火神の事情を的確に把握していた。
火神は来月から、クリップス主催のワークアウトに参加するため、LAへ行くことになっていた。
クリップスはロサンゼルスに拠点を置くプロバスケチーム。ワークアウトというのは、サマーリーグ前に開かれるチーム練習をさしていた。ただ、ワークアウトはトライアウトでもあった。ワークアウト中にも試合形式の練習があり、そこでスカウトから声が掛かれば、クリップスのサマーリーグ向けトレーニングキャンプへ参加することができた。
ワークアウトのためにLAに滞在する予定期間は最低一週間。サマーリーグへの参加、さらにスカウトを受け、ロスター向けの秋のトレーニングキャンプへ参加も決まれば、滞在期間はどんどん延びることになる。
渡航・滞在費は全日本バスケ連盟持ちだった。連盟による選手派遣は、毎年行われるものではなかった。有望な選手があればその都度推薦なのだという。今年は栄治大学から火神、そしてツクバ大学から青峰が選ばれた。
ワークアウト参加への打診は、先月韓国で開催された日韓交流試合、李香石杯の最中に行われていた。李香石杯は二十年前から続いている韓国との国際試合で、毎年四月に、開催国を交代しつつ開催されていた。韓国のホテル滞在中、青峰と火神は、日本側選手団の引率として連盟から派遣されていた稲垣という人物から、ワークアウトの話を切り出された。
『我々は君たちを推薦したいと考えている。そのつもりがあるなら、所属チームの監督へ返事をしてくれ』
チームの監督へ、と稲垣が言ったのは、トライアウトとほぼ同時期に関東大学リーグの新人戦があるためだった。
『どうする?』
連盟から話が通っていたようで、帰国後すぐ、火神は栄治大バスケ部の監督である橋本と面談することになった。
『すいませんが、俺、行きます』
栄治大バスケ部は今年、リーグ優勝を狙えるところまでチームが完成していた。火神はそのチームの主力選手だった。チームのエースの自覚もあった。
大学に入学して、一年間、ずっと考え、葛藤し続けていた。アメリカでプロになるとしたら、大学卒業後のチャレンジでは遅いのではないか、と。