■文化祭二日目 朝 冒頭抜粋
洛山高校生徒会会長、赤司征十郎の文化祭二日目の朝は、生徒会室のソファから始まった。目覚めの合図は内線電話の着信音。ほんの少し休憩するために横になったソファのちょうど頭の位置に、文化祭実行委員用携帯電話は置かれていた。
『赤司助けて!』
電話口で、まさに悲鳴のような台詞を叫んだのは、文化祭実行委員会会長の蓮見慶介だった。
「現状を、極めて簡潔に話してくれ」
目覚めたばかりの頭で、赤司は自分の判断力にまだ自信がなかった。蓮見の口調だけで非常事態に近い何かが起きたのはわかった。ならば、まず、現状を正確に把握すること。できるだけ、報告者の主観を交えずに。
『赤司、今、寮か?』
「いや、生徒会室にいる」
『え、もう来てるのか?』
「野暮用だ」
『じゃあちょうどいい。そこなら窓から公道、見えるだろ? 見てくれ』
「見る?」
『もう、客がいるんだ』
「――もういるのか?」
生徒会室の壁の時計は七時十五分を指していた。蓮見が『客』というのは、おそらく本日の来場者を指しているのだろう。洛山中高合同文化祭は毎年、金曜と土曜の二日間行われる。一日目は平日ということで、展示発表とステージパフォーマンス企画のみ、二日目は一日目の出し物に加え、グラウンドで出店も開かれる。
閉め切ったカーテンの隙間から、朝の日差しが漏れ差していた。今日もいい天気になるだろう、と赤司は思った。天気予報でも、今日の降水確率は0%だった。
昨年は二日目の朝から小雨が降り、午後は曇りだった。そのため午前中の客足の伸びは悪く、それがそのまま午後の客足にも響いた。今年の課題は、天候が悪い場合の集客方法について調査し、対策を取ることだった。赤司は実行委員会と頭をつき合わせて対策を練り、広報の予算も多めに確保した。
それだけの準備をしてきたので、昨年より客の出足が伸びるのはおかしくない。が、文化祭の開場は九時、現在はまだ七時だ。並ぶにしては早過ぎる気がする。
(こんなこともあろうかと、手は打っておいたが)
昨日の待ち行列はせいぜい二十人程度で、それも会場十分前程度に列が形成された程度だった。それでも赤司は昨夜、生徒会室で生徒会メンバーに、本日の早めの登校を指示した。
『明日は昨日よりは人出が見込める。念のため、今日より三十分早く、八時にはここに集まっていてくれ。何も起きなければ生徒会室で寛いでくれていていい』
何かと用事を抱えている文化祭実行委員会に比べれば、生徒会役員は、文化祭の間は表立った仕事はほとんどない。昨日の生徒会は、生徒会の腕章をつけ、見回りと称してさまざまなクラスの企画を覗きに行っていた程度だった。その途中で来場者から学内質問に対して応対した程度だ。
内線を肩に挟み、赤司はカーテンを掴んだ。夕日が直撃する生徒会室は、夕暮れになるとカーテンを閉めるのが日課だった。そのカーテンを空いた両手で一気に開いた。
(……いい天気だ)
目に飛び込んできた空は青く、左手に見える朝日は、本日の文化祭を寿ぐように輝いていた。窓を開けてその清々しい空気をいち早く取り込みたい気にさせられた。
だが、用件を忘れることはできない。鍵を開けるついでに、窓から見える公道に眼を移した。
「な」
確かに客がいた。老いも若きも、というよりは、若い者の姿が多い。客の始まりと終わりまで辿ろうとしたが、どちらも今いる位置からでは途切れてしまった。
『見た。これ、もう、校舎を一周しそう……』
(校舎一周……)
見える範囲でざっと三十人。校舎を一周するというなら、少なくともこれの四倍がすでに並んでいるということだった。
「蓮見、お前は今どこにいるんだ」
『校門だよ。今からこのペースだとやばいよ、赤司、列乱さないように見回らないといけないし、待ってる間の声の大きさとか、』
ああ、と絶望したような嘆き声が聞こえた。
『警察が来た……』
「俺もそちらへ向おう」
イスに掛けて置いたジャケットを掴み、赤司は足早に生徒会室を出た。歩きながら、『緊急時案発生なるはやの到着頼む』という内容のメールを生徒会メンバーに一斉送信した。
道路交通法七十六条四項、道路において、交通の妨害となるような方法で寝そべり、すわり、しゃがみ、又は立ちどまつていること。罰金は五万円以下。
公道上でそれらをする場合は、届出が必要だ。そして届出などしていない。
(見通し甘かった)
赤司を始め、関係者の誰もが油断していた。――行列ができるのは午後である、と。
<中略>
祖母はすでに三味線を傍らに置いていた。祖母は長唄と三味線を習っていた。
(試されるのか)
生演奏で舞ったことはなかった。舞うときは、母の口歌だけだった。それを耳で覚えていたので、母が亡くなってからも一人で舞うこともあった。ラジオから流れる謡曲を耳にし、母の歌はこんな風に演奏されるのか、と思ったこともたびたびあった。
祖父が差し出した扇を受け取り、祖母の演奏に合わせて舞った。曲が流れれば、身体は勝手に動く。だが、生演奏ということで、記憶にあるテンポと演奏のテンポにズレがあり、舞には最後まで固さが残ったのがわかった。祖父は最後まで、硬い表情で見ていた。自分が柳流の踊り方をできていたかどうかは、全くわからなかった。
「詩織のを覚えたんやな。癖がそのままや」
謝るべきところなのか、礼を言うべきところなのか検討がつかなかった。
「征十郎」
「はい」
「うちの者が舞台で身につける着物が化繊なんて、以ての外や」
「……はい」
「相応の物を用意する。その舞台はお前以外にも部活動の仲間も出るんやろ? その人たちも寸法を測りに来るよう言いなさい」