(第1話より p15-19)
テレーズが大通りを歩く度に、一本に結った栗色の髪がゆらゆらと揺れていた。肩よりも長く、癖のない髪は、友達から羨ましがられた記憶がある。
通りを歩き、書店の角を左に曲がった。地図で位置を確認しながら、さらに直進していく。中心街に近づいているのか、鐘塔が視界の中で大きくなっていた。
やがて何度か曲がると、馬車が通らず、人もあまり歩いていない通りに出た。今の場所を地図で把握し、方角を確かめると、鞄を握りしめて進んだ。
少し歩いたところで、立ち止まった。後ろから聞こえる足音も止まる。眉をひそめながら歩き出すと、後ろの足音も同じような動きをした。
(まさか、尾行されている?)
地図を見る振りをして、再び立ち止まる。やはり足音も止まった。
(やっぱり尾行されている……)
小さく肩をすくめた。誰かに狙われる覚えがない。まだ都市に来たばかりなのだ。
テレーズはハッとし、自分の荷物を見た。この都市に住んでいる者では考えにくい、荷物の多さである。
(もしかして旅行者を狙った、盗っ人とか? しょうがない、面倒なことにはなりたくないし、振り切るか)
考えをまとめて、地図から大通りに行ける最短の道を選び出す。どうやら来た道を戻るよりも、少し進んで裏路地を突っ切った方が早い。
早歩きで進み出すと、後ろにいた人間も歩き出した。目的の曲がり角を見るなり歩調を早め、さらには駆け出し、裏路地に入った。
意表を突かれた追っ手も慌てて走り出す。
テレーズは手近にあったゴミ箱を引き倒し、障害を作った。
一瞬、振り返ったとき、追っ手の姿が見えた。二人組の男性で、襟が高い黒色の服を着ている。暗い色のレンズの眼鏡をかけているため、顔はわかりにくい。
向こう側の通りが見えて、ほっとしたのも束の間、突然頭上が暗くなった。顔を上げると、何かがテレーズに向かって落ちてくる。このままでは衝突すると思い、慌てて立ち止まった。
すると正面には、真っ黒で巨大な猫科の動物が降り立った。腰くらいの高さの生き物で、瞳の色は赤い。
後ろから追いついた男たちが、肩で息をしながら、声をかけてくる。
「お嬢さん、危ないから、こっちに来なさい」
男は諭すように言ってくる。彼らの声音や様子から、慌てた雰囲気は感じられなかった。
魔物を見慣れているのか、それとも――。
思考を巡らせる暇もなく、魔物が地面を蹴って、突進してきた。
テレーズは荷物を脇に置いて、短剣を取り出す。接触する寸前に、近くにあった棚を駆け上って、突進をかわしながら背後をとる。
振り返ると、魔物は男たちの手前で止まり、体を回転して、こちらに顔を向けてきた。
魔物は男たちを襲おうとしない。やはり、あれは彼らが飼い慣らしているものなのか。
「二人と一匹が相手……」
護身程度しか短剣を触れないテレーズにとっては、この数が相手となったら逃げるしかない。これだけの至近距離では、得意の弓の利点も生かせないからだ。しかし、魔物に背中を向ければ、あっという間に追いつかれ、襲われるに違いない。
逃げるにしても、魔物は怯ませる必要があると結論づけた矢先、魔物が動いた。噛みつこうとしてきたため、刃の腹に左手を添えて、両手で短剣を持った状態で牙を受け止める。だが、押してくる魔物の方が力は上だった。
見る見るうちに短剣の刃は押され、左手に刃が食い込み、血が滴り始める。歯を食いしばりながら耐えるが、限界に近かった。
不意に魔物の牙が短剣から離れた。予想していなかった動きをされ、テレーズは判断が遅れた。次の瞬間、腹部に魔物の頭突きを受ける。
「……っく!」
まともに攻撃を受け、地面に背中を打ち付けながら転がった。
起き上がろうとすると、魔物がテレーズのすぐ横まで移動していた。少し身じろぐなり、威嚇してくる。しかし、動かなくなれば噛みつこうとはしてこなかった。まるで調教された動物のようである。よく見れば首輪をつけていた。
「……ったく、てこずらせやがって」
男たちが近づいてくる。手には縄が握られていた。
「一緒に来てもらうぞ。テレーズ・ミュルゲ」
名前を知っている。つまり相手は通りすがりの旅人を狙った盗っ人ではなく、何らかの理由があって、テレーズを狙っているようだ。
魔物を睨みつけると、逆に牙を近づけられる。人の喉元など簡単にかみ切ってしまいそうな牙だ。
鼓動が速くなる。
男が近づいてくる。
どうする――
「――こんなところで男二人と獣一匹で女をいたぶるとは、あまりいい趣味じゃないな」
低く、重い、よく響く青年の声。その声には聞き覚えがあった。
男たちは怪訝な表情で、来た道を振り返る。
首元でマントを留めた青年が一人、颯爽と裏路地を歩いてきた。暗がりの中でもうっすらと群青色の瞳が見える。行きの馬車で同乗していた護衛の青年だ。
「お前、何者だ。近づくと痛い目に遭うぞ」
彼は男たちの制止の声など聞かずに、こちらに近づいてくる。
「おい、聞こえねぇのかよ! 忠告はしたからな」
男が一人、青年に近づく。そして拳を作って、上から殴りかかろうとした。
だが、彼は表情一つ変えずに、顔の真横で男の拳を捕まえた。ニタリと笑みを浮かべる。
「これで正当防衛ができるな?」
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