文学界において天才と呼ばれた男、早川勉はとある宗教団体が執り行う叔母の葬式に参列し、そこで教祖として育てられていた美しい少女と出会うことになるが……? 隠された叔母の秘密と奇妙な逃避行、必見です。
*表紙絵はゆかりめく。様に描いていただきました。
*以下試し読みです*
一
叔母が死んだ。
早川は安易に電話に出たことを後悔した。珍しく家電に、しかも実家からかかってくるなんて、ろくな理由などありはしないだろうに。
「で、葬式はいつなの?」
そう聞くと、電話口の母親は言葉に詰まった。
「それが、ね」
歯切れの悪い言い方で、母親は言葉を切った。久しぶりに聞いた母親の声は、いつにも増して気まずく聞こえて、早川は苛立った。
「いつかって聞いてるだろ、俺だって暇じゃないからスケジュール開けないと...」
「違うの」
母は早川の言葉を遮った。
「ほら、叔母さんしん…….珍しい宗教に入信してたでしょう?お葬式はその宗教の方々だけでやるって言われて……でも叔母さんの遺言で特別に勉だけは参加できるんだって」
「何だよそれ」
「そう思うわよね、でもそれは絶対変えられないんだって」
私も優も説得したんだけど、どうしてもダメなんだって。多人数で来たら追い返しますって言われちゃった。
母親は早口に言った。早川は呆然とした。ぐるぐると巡っていた思考がはたと停止した。何も言えずに、ただ受話器の向こう側の母親のいる部屋にある柱時計が六時を知らせる音が響くのを聞いていた。
「……とむ、勉!」
早川は母親に名前を呼ばれて我に帰る。手から落ちそうになった受話器を握り直して、返事を返す。
「ああごめん、何」
「とにかく、今日勉の家に招待状が来るって。」
自分の母親の姉の葬式に出るのに、招待状が要るのか。
「滑稽だなあ」
「まあそう言わずに、私達の代わりに行ってきてよ、勉。花は持ってきて大丈夫って言われたから、私達のを持って行って頂戴」
受話器を置き、デスクの前の椅子に座る。綺麗に積み重ねた原稿用紙と汚いメモ書きが散乱している机にまた向かい、万年筆を取った。ため息を一つついて、溜まったイメージを紙の上に書き出そうとした。
が、その瞬間、頭の中が空になった。また呆然としたときのように、ぱたりと何もかもが静止した。
いつもすらすらと入ってきたものたちが、頭の中に出入りしていたものが、息を吸えば酸素と共に入って来るものが、呼気と共に出てくるものが、一斉に動きをやめた。
あたりまえにできたことが、一瞬でできなくなってしまった。
指を髪に通し、伸びた髪を力を込めて握る。根元が引っ張られて、地肌が悲鳴をあげる。痛い。でも頭の中に何も浮かんできやしないこの苛立ちには、勝らない。 早川は唸った。こんな状況に陥るのは初めてだ。原因となった出来事と言えば、
キイ、と郵便受けに何かが入れられる音がして、早川は万年筆を置いた。裸足のままサンダルを引っ掛けて、ドアを開ける。
寝巻きにコート姿だとまだやや寒い。サンダルをぺたぺた言わせながら郵便受けまで少し歩く。そういやここ三日ほど外に出ていなかったな、なんて考えながら郵便受けのふたを開けると、溜まった新聞紙の山の上に白い封筒を見つけた。
表面には早川 勉様とだけ書かれ、裏面の端には聞いたことのない長ったらしい法人名が印刷されていた。
机の隅に追いやられていたペン立ての中からカッターを取り出す。錆びついた刃は封筒の端から滑ろうともせず、乱暴に押すとバリッと音がして封筒の上部が破けた。その勢いで刃は早川の左親指を掠め、乾燥した肌に浅い傷を作る。
「痛って」
右手から離れたカッターが床に落ちて、かたんと乾いた音を立てた。舌打ちして親指を咥え、滲んだ血を吸った。口の中に血の味が広がって、早川は顔をしかめた。不味い。
指をべ、と吐き出し、封筒から中の紙を取り出す。
『去る二月二五日 浜井 樹様は逝去いたしました
遺書にて貴方様が葬儀に参加されることを故人が希望されましたのでここにご通知いたします
式は教祖様の元下記の通り執り行います
お越しくださるよう心よりお願いいたします
お待ちしております』
三つ折りにされていた紙の下部を見ると、日時と場所が明記してあった。
日時は二日後の朝から、場所はここから行くには遠すぎる山奥である。
「冗談じゃない」
早川は呟いて、時計を見た。