こちらのアイテムは2015/3/8(日)開催・第1回 Text-Revolutionsにて入手できます。
くわしくは第1回 Text-Revolutions公式Webサイトをご覧ください。(入場無料!)

陸の人魚姫

  • C-28 (ライトノベル)
  • りくのにんぎょひめ
  • ひより
  • 書籍|文庫判(A6)
  • 0円
  • http://7prayer.xxxxxxxx.jp/
  • 2015/3/8(日)発行
  • ある日、突然声が出なくなってしまった女子高生、羽柴美夜。内気な彼女はそのことをうまく周囲に伝えられれずにいた。そんな中、彼女の様子がおかしいと気が付いてくれたのは、クラスメイトの藤村陸で……。

    見えないストレスに翻弄される、少女の静かな成長譚。


    【冒頭立ち読み】

     ある夜、突然の息苦しさが、美夜を襲った。

     誰かの指が、自分を絞め殺そうとぎゅっと力をこめて首を圧迫してきているようだった。喉元をかき毟ると、ひっかいた皮膚の感触が妙になまなましかった。爪が肉に触れたが、しかしそれは美夜自身の肌で、誰かが首を絞めているというようなことはなく、彼女ひとりがただベッドの上で喘鳴し、もがいているだけだった。

     ベッドの上から起き上がろうとしたものの、うまく力が入らず寝返りをうつだけになってしまった。うつぶせになってもまだ息は苦しく、そのままぜいぜいと嗚咽を漏らす。

     頭が熱くなって、目の前が白く染まる。こんなに切羽詰った苦しみはうまれてはじめてだった。死ぬのではないかと本気で思った。けれど死への恐怖より、今のこの苦しみから抜け出したいという気持ちの方が大きく、震える足を必死にひきつらせ、意味もないのに起き上がろうと躍起になる。

     やがて突然、その苦しみがふっと消えたと思ったら、身体の力もすっと抜けて、冷や汗がいっきにあふれた。美夜はむせ返る。

     数度、静かな咳を繰り返した。本当に音のしない、空気だけがあふれるような咳だった。ひゅうひゅうと風の通るような音だ。

     

     翌朝は穏やかな朝を迎えた。トーストにジャムを塗り、昨日買ったばかりのミネラルウォーターの蓋を開け、コップに注ぐ音さえ響く、静かな朝だった。

    (そう言えば、昨日のあれ……。なんだったんだろう?)

     トーストを齧りながら、ぼんやりと思う。

    (ただの悪い夢……、だよね。きっと)

     天気予報を見ようと、テレビをつけた。すると、同じタイミングで携帯電話が振動する。着信、加寿子。画面に浮かんだその文字を見た瞬間、一瞬だけ心臓がひやりとした。

    「もしも――」

     言いかけて、むせた。喉にちりっとした痛みが走ったのだ。トーストがひっかかったのかも、と頭の片隅で思う。

    『もしもし、美夜ちゃん。大丈夫?』

    「加寿子さ……」

     言って再びむせた。元気良く返事をしようと思ったのに、またしても喉に痛みが走ったのだ。今度はなにかがひっかかるような痛みではなかった。どろした粘液が絡みつくような痛みだった。

    『あら、風邪かしら。いいわよ、無理して喋らないで。ただ声が聞きたかっただけだから』

    「……ん……。……りがと……」

    『なにかかわったことがあったらいつでも電話、ちょうだいね。こっちは相変わらずなんだけど、美夜ちゃんからあんまり連絡がないと、少し心配になるのよ。遠藤さんはしっかりやってくれているかしら? 私ね、実は、帰ったときに家が蜘蛛の巣だらけになってたら、と思うと、不安で夜、眠れなくなっちゃうの。私……子どものときから蜘蛛だけはどうしても駄目なのよ。蜘蛛っていやなの、だっていつの間にかそこにいるんだもの。一匹見つけたと思ったら、次から次へ増えていくのよ。でも、美夜ちゃんがいるからきっと平気よね、って思って、安心して寝付くの。だって美夜ちゃん、きれい好きだし、それにしっかりしてるものね』

     美夜は、苦笑いをした。相手に顔が見られていなくて、よかったと思う。

     この人の思っていることが本心なのかどうか、最初の頃はよく疑ったものだ。実際、今も真意のほどは明らかではない。けれど、もう三年近くこんなきれいごとを言い続けているのだから、少なくともその場しのぎの建前ではないのだろう。

     あと少ししたら、本当に好きになれそうな気がする。そう思いながら今日まで過ごしてきた。

    『それじゃあ、短いんだけどこれで切るわね。そっちじゃ朝よね。ごめんなさい』

     なにか言おうと思って口を開いたものの、息を吸い込んだだけでまた妙に喉が痛んだため、なにも言うことはできなかった。

     加寿子はそんな美夜を気遣ってか、ほがらかに笑う。

    『学校いってらっしゃい。喉、お大事にね』

     電話はきれた。プツン、と通話の終わる音が妙に大きく聞こえた。

     急に静かになった部屋の中で、美夜は息をついた。――あの人と話していると、いつも疲れる。相手が悪いわけではないとわかってはいるのだけれど、あの人はあまりにも母と違いすぎている。

     

     八年前に死んだ母の代わりに父が連れてきたのは、おっとりとした加寿子という女性だった。

     美夜の実の母は気の強い性格で、物心つくころには父と喧嘩ばかりをしていた。父もまた頑固だったため、ふたりは常に言い争いを繰り返していて、結局どちらかの口からも「ごめん」の言葉が出ることはなく、母の病死によって両親の関係は終わった。

     だから三年前、美夜が十四歳のときに父が加寿子を「結婚を考えている相手」として紹介してきた瞬間、「やはり」と思った。――ああ、「やはり」父は母をあまり好きではなかったのだ、と。

     そんなものは子どもの解釈にすぎないと、今ならわかる。きっと父も父なりに母を愛して、だからこそ結婚を決めたのだろう。けれど「やはり」、父が母の次に選んだのが加寿子のような女性だったのなら、母みたいに気の強い女性に疲れてしまったことは、間違いないはずだ。

     美夜は携帯電話を置いて洗面所にいき、うがいをした。うがい薬の臭みがあまり好きになれないのだが、しかたがない。なんとかして苦行を終え、その足で部屋にいき、鞄を肩にかけて家を出る。

     

    「あ、あー」

     エレベーターに乗りながらなんとなく声を出してみる。

    (やっぱり喉、まだ痛むかも。風邪かなあ……)

     ふと、昨夜の出来事が脳裏をよぎった。不思議なことに、とても苦しかった記憶はあるのに、あの苦しみを思い出すことは出来なかった。

     ついついぼんやりしてしまっていたためか、はっと気づくと、エレベーターが一階に到着していた。あわてて外に出ようとしたところ、入れ違いにすらりとした無精髭の男が入ってきて、どくんと心臓が大きく脈打った。その男は美夜になど興味もなさそうに、目的の階のボタンを押して、大きなあくびをして、上昇するエレベーターとともに消えて行く。

    (……人違い……)

     そう、人違い。

     自分に言い聞かせるようにして、美夜は逃げるようにしてマンションの敷地を出て行った。

ログインしませんか?

「気になる!」ボタンをクリックすると気になるサークルを記録できます。
「気になる!」ボタンを使えるようにするにはログインしてください。

同じサークルのアイテムもどうぞ

少女分離、或いはその交差路ロッキン・チェリー・エクスタシー陸の人魚姫宵闇御史

「気になる!」集計データをもとに表示しています。