「また王妃様から心づけいただきました、殿下」
宮中での会話にはさすがのエディットも言葉使いを改めていた。宮中行事というよりもっと私的な集いの席だった。新年を迎えていたが、雰囲気は未だ重苦しかった。そんな最中、王は親しいものだけ招いた会を開いた。ごく内輪で記録にも残らないようなささやかなものだったが、主催が王だけあって中規模貴族の夜会程度にはなっていた。その最中のことだった。
「気色悪い」
「仕方ないでしょ、あんたが恥かくわよ」
「で、そのドレスやアクセサリーはどうしたんだ」
「王妃様の心づけよ。うちの子は女の衣装なんかわからないでしょうからって」
「まさか」
「直々だったから冷や汗かいたわ、それにウォリック夫人のおつきすると言うのもバレたわね」
「え」
「気おくれがすると正直に申し上げて許可はいただいたわ」
「はー…」
「田舎娘なんか構うから」
「おまえがいいんだから仕方ないだろ」
ウォリック伯爵夫人が苦笑していた。そばにいたらしい。
「伯爵夫人、ようこそ」
「殿下」
「わが家にも栄誉を賜り、恐悦にございます」
「夫人の気遣いには痛み入ります、特にこの者に関して」
「いいえ。とんでもない、私はただ…」
「何か」
「そばにいるとほっとするのです、この御方」
「それはわかります」
「意味わかんない」
エディットの呟きに二人は苦笑した。
「わからなくていい、お前は貴重だ」
意地も見栄も必要ない。本音で話せる数少ない人。
「本音を言ってもあなたは受け止めるの。それが貴重なのよ、エディット」
「ぼけっとした田舎女じゃない、私って」
「それじゃない、まあ、いい、ほら」
青年が手を差し出していた。
「何するの」
「音楽聞こえているだろ、ダンスだよ」
「伯爵夫人と…」
「お前でいいんだよ」
ホールには騎士と夫人たち、娘たちがいる。その中を彼はエディットの手を取って進んだ。噂の愛人をみな冷ややかな目で見ている。氷の視線を感じながらエディットは王太子の巧みなリードを受けて踊った。ひそひそ話し込む貴族たちに鋭い視線をすかさず投げる青年にエディットは苦笑していた。
「あんた、バカなの」
「バカでいいさ、お前がけなされるのは腹立たしい」
「またわかんない事言って…」
レディズソロターンを決めさせて、ダンスは終わった。丁寧に彼に向け、カテーシ―をする。伯爵夫人の特訓は厳しかったのか、と彼は思った。その手をとったまま、別室の歓談室に向かった。その様子を一人の女性が見つめていた。
「ジョアン」
ソルズベリー伯爵夫人の立場が微妙になっていたその女性が宮中に滞在しているのは奇妙だった。が、王の従妹を軟禁出来るとはソルズベリー伯も思ってはいなかった。噂のホランドと一緒にいる。
「殿下が楽しそう」
「そうだな」
彼女より一回り年上の屈強な男は野心家でもあったが、ジョアンとの恋愛は真剣だった。ホランドの思いを察したのか、青年、王太子はあえて二人を無視した。関心がないように振舞っていたが、エディットは気づいていた。この人なのか、と。
春になると行事は目白押しになった。団員についての打ち合わせが親子、国王と王太子の間で交わされた。その話し合いは何日も続いた。宮中の王太子個人の一画でエディットは過ごしていた。英語呼びのエディスにも慣れてきたが、王太子とウォリック伯爵夫妻だけは改めなかった。伯爵夫妻も特別な一画で過ごしていたが、夫人は子供たちが気がかりなのか、しきりにウォリック城あてに指示を出していた。その手伝いをエディットはしていた。ウォリック伯爵夫人の侍女のためのドレスは仕立て上がり、彼女は試着してみた。
「少しは動きやすいでしょ、エディット」
「はい。ずっとこれじゃダメですかね」
「無理ね、それは」
王太子の愛妾のする格好ではない。
「なんであの人に会っちゃったのかなあ」
「運命…」
伯爵夫人は伝え聞く運命の女神を思い出していた。フランス北方の小さな農村に生まれ育った少女はイングランド宮廷の最中にいる。
「そんな大げさなものじゃないと思うんですけど」
「殿下は幸せね」
「そうですかねえ」
叙任式とミサ、華やかな行事。その最中に伯爵夫人とエディットは巻き込まれていた。伯爵夫人の横でエディットは深くベールをかぶり、質素な身なりで行事を
見守っていた。華やかな正式の騎士の衣装をまとい、二十六人の騎士達が行進し、ウィンザーの教会へと歩んでいく。花が舞う。晴れやかな王の笑顔。
「二つのグループに分けるそうよ」
「それは」
「陛下のグループと殿下のグループ、だそう」
「それって」
「ソルズベリー伯は王の元だそうよ、ホランド卿は殿下の元」
「あ、ジョアン様の」
「驚いたでしょ、宮中にまでこんな」
「こう言っては何ですけれど、人間なんですねえ」
「そうね。恋はどうしようもないことだわ」
人の心はままならない。フランスの田舎で小麦をかりとり、羊を追いかけていた田舎娘が貴婦人の傍らでその頃は夢にも見なかった豪華な衣装をまとって侍女らしく控えている、それだけでも信じられないことだ。母や父が生きていたらどう思っただろう。
「どうかして」
「今の私を見たら親はどう思うかしら、と」
「さあ…想像もできないわ、私にも」
「奥方様」
「なあに」
「華やかな行事って気分がいいですね」
「悪疫でみんな疲れたものね、お祭り気分は心地いいわ。当人である事を除けば」
王・王太子に次ぐ随一の騎士、ウォリック伯爵の妻で、マーチ辺境伯の財産をいくらか引き継いでいるこの淑女もまた祭りごとの渦の中にいることは自覚していた。
「お城に帰りたいのですね、奥方様」
「子供たちが心配なのよ…」
左脚のガーターはみなおそろいで、マントもブローチも剣まで同じものを二十六人の騎士達は身に着けていた。唯一例外は王妃フィリッパだけ違っていた。ドレスと王妃の冠、マントを身に着けていた。豪華な宝石、美しい刺繍の施された複雑な織り模様のドレス。叙勲の儀式は滞りなく済み、集まった臣民の前に騎士たちは姿を現した。この後、槍試合用の甲冑を身に着け、試合会場に揃うはずであった。ウィンザーの試合会場には観覧席が設けられ、着飾った貴婦人たちはそこに席を取った。侍女を連れているものもいれば、一人で観戦する人もいた。爵位のある騎士の妻たちは侍女を伴っていた。ウォリック伯爵夫人の横にエディットは伯爵家の家紋入りの侍女の服を着て侍っていた。
「ホントにそれなんだな」
試合前に王太子が近寄って声をかけてきた。
「気が引けるの」
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