砂漠の国、ウラウローで、傭兵を生業としているカルザスという青年がいた。
彼の中には「記憶」と「実体」を失くした「俺」という存在がおり、
彼の痕跡を求めて旅しているのだ。
ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会い、
彼らの運命は国を揺るがす大きな闇に翻弄されていく。
「私は一人で生きていく……これからも、ずっと……」
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澄んだハープの音色と、それに合わせて歌う透き通った歌声。
それらは生き物を拒絶する砂漠、それも町の影すら見えぬ砂漠の真ん中では、通常なら到底聞こえようはずもない異質な音だ。耳障りではないが、あまりにも美しい旋律は、返って警戒心を煽ってくる。
ウラウローは黒色の大岩が多い砂漠だ。その岩が作り出す日陰で休憩を取る旅人や商隊も少なくはない。だが盗賊や砂漠の獣に気付かれるような音を発てて休むなど、常識では考えられぬ事なのだ。
警戒心を煽られはしたものの、俺はハープの音色の源に興味を抱く。だがカルザスも同じく好奇心を刺激されたらしい。
念の為にと、マントの下で剣の柄に手を掛けたまま、音の源を辿った。
「……うっ」
岩陰の様子が見える位置までやってきて、カルザスはうめき声を発し、思わず片手で鼻と口とを覆った。
死屍累々と、辺り一面に散乱した人間だった〝もの〟が転がる惨劇の爪痕。強い日差しに肉は腐り、血で染められた白い砂は茶色く変色し、その一角だけがまるで地獄絵図のようだった。不幸中の幸いは、砂をも舞い上げる強い風で、腐臭が拡散されている事くらいか。
残忍な盗賊の仕業なのか、めぼしい品物は見当たらない。奪い盗られたのだろう。そして男は抵抗する間もなく惨殺され、女はおそらく陵辱されたのちに殺されたと推測される。大人も子供も関係なく、圧倒的な力によって、その命を奪われていた。ざっと数えて十二人。商隊と、同行していた彼らの家族に傭兵、といったところか。
その惨劇の場で動く〝もの〟は、ただ一つを除いて存在しない。ただ唯一、生のあるもの。それは銀色の翼を持つ天使だった。
いや、天使ではなく人間だ。
ゆったりしたドレープのある裾の長い純白のローブを纏い、ウラウローでは珍しい白い肌と腰まである長い銀髪。それが風に舞い、翼のようだと錯覚してしまったのだ。
その者が惨劇の場に跪いて、ハープを奏でていたのだ。
髪を砂の混じる風になびかせ、紫色の瞳は悲しみに沈んでいる。女にしてはかなりの長身だが、細くしなやかな体付きは身軽な猫を連想させた。
女はカルザスに気付いたのか、ハープの弦を爪弾く手を止め、顔を上げた。
中性的な印象の眉目秀麗な女だった。
「……あなた、誰?」
ハスキーな甘い声で問い掛けてくる女。男に媚びているといった訳ではないのだろうが、妙に胸がざわつくような声音だ。心の琴線に触れてくるというか。
この容姿。明らかにウラウローの民ではない。
他国からウラウローにやってくる者は、そう珍しいという訳でもないが、女が一人というのは珍しい。なぜなら、ウラウローにやってくる他国の者といえば、大抵男の商人だからだ。女の体力で、ウラウローを囲む岩山を越えて来られる者など、そう多くはあるまい。
「あ、えっと……僕はただの傭兵です。ハープの音が聞こえたので、ちょっと気になって……そうしたら、あなたがいらっしゃったので」
女の存在に気を取られているせいか、腐乱した死体の事を一瞬忘れてしまう。場所が場所でなければ、下手なナンパのようだな。
「あの……あなたはこの方々のお知り合いですか?」
「いいえ」
短く答え、立ち上がって膝の砂を払う女。
「私も通りすがりの者よ。何もできないけど、弔いの歌くらいは歌ってあげられるから」
ハープと歌というキーワードから察するに、この女は詩人なのだろう。異国の詩人の女が一人でウラウローにいるとは、なお妙な事この上ない。
「ただ砂漠を渡っていただけなのにね。何の罪もないのに、こんな場所で殺されて……とても可哀想な人たちだと思ったから」
長い睫毛を伏せ、女はハープを荷物の中へと収める。
夢うつつを見せられているかのような、どこか憂いのある雰囲気の女だが、俺はこういった艶っぽさを醸す女があまり好きではない。そもそも俺は女という生き物とは相性が悪いのだと思う。記憶がないので、強く言い切る事はできんが。
「……さよなら、傭兵さん。私、もう行きますね」 「あ、待ってください」
カルザスが女を引き止める。
「盗賊の徘徊するような場所を、女性一人では危険でしょう? ベイに向かうなら、ご一緒にいがかですか?」
物好きだな、この男は。
金にならん護衛など、どうしてそう易々と引き受けようとするのだ。一人で砂漠をうろつくような危機感のない女など、放っておればよいというのに。
女はさして驚くでもなく、僅かに口元に笑みを浮かべて首を振る。
「ご親切にありがとうございます。でも私、傭兵さんにお支払いできるようなお金は持っていません。どうぞお気になさらずに」
慣れた口調でカルザスの誘いを断り、女は小さく頭を下げる。