〈収録作品〉(予定)
・かからない魚
・エスケープ
・クリーム
・ゆえちゃんのうさぎ
・遠いゆめ
・瞳にうつして
・ゆらめき
・夢のような日
・息をかえす
・春、きみの指が燃えていたこと
(以下、「春、きみの指が燃えていたこと」試し読みです。)
「いくら考えてもわからないことがある。
二十一歳の春、永はいなくなった。誕生日が九月の彼女はまだ十九歳だった。その日も一緒に泳ぐ約束をしていた。いつもなら十一時ごろに来て一、二本流していると自然と落ち合えるはずが、彼女はいつまでたっても現れなかった。昼の休憩で監視員に声をかけられるまで、僕は仰向けでプールに浮いていた。」
*
永いはく、僕の顔は薄いけれど、あっさりとはしていない。素敵な生地で仕立てられたシャツみたいだ、とも言う。柄も形もありふれているのに、何度洗っても色褪せず、そっくりしている。そんなシャツ、いいなと思う。そしたら永は「ほら、ちょうどあなたが着ているみたいな」とつづけた。そこではじめて、自分が生成り色のリネンシャツを着ていることに気づく。僕は、服装にこだわりがあるほうではない。大学の講義があるときは襟付きのものを選ぶようにしているが、それはただ単に、気をつかわずともある程度きちんとしてみえるからだ。
ふと、つむじのあたりに熱を感じる。顔をあげる。視線が絡んだ。永の目の開き具合がわずかに悪くなる。僕はすかさず「ありがとう」と言う。
「そうやってすぐ適当に返事する」
永はテーブルに肘をつき、手の甲に頬をのせた。片方の手でバナナジュースにささったストローのさきをいじりつつ、今度はあきらかに僕をにらんでいる。また墓穴を掘ってしまった。
「わたしの話がつまらない、って風でもないのよね。そう、興味がないのよ。だけどそれって相手に対していちばん失礼なことだと思わない」
「ごもっとも」それ以外に返す言葉がみつからない。人と会話をするとき、僕はいつもおなじようなことに悩まされる。なにか言わなければならないとき、返答の選択肢がふたつ以上浮かぶことはまずない。だから自ずとたったひとつの選択肢に頼ることになるのだが、永にはこれがいいかげんに聴こえるらしい。実際、人の話に耳をかたむけることはさほど苦痛ではない。興味がない、というわけでもない。ただ言葉を求められると頭の中にある空洞をみつめることになる。そこに僕はわずかな陰影をみいだそうとする。せめてそういう努力はしている。
*
枕元においていたミネラルウォーターに手を伸ばす。口をつけるまえに「飲む?」と聞くが、永はなにも言わずに首を振った。彼女は本当に水を飲まない。
そのあと僕はネッシーの話をした。ダストピットにシールを貼ったのはきみじゃないのかと問うと、永はくつくつ笑った。そして右腕を顔の横につけてのばし、手首を八の字に回してみせた。ネッシー? うん。たまに指先を何度かあわせて、口を動かしているように見せる。
しばらくやって、永は飽きたのかつかれたのか、右腕をベッドにおろした。顔を壁のほうに向け、微動だにしない。ホットパンツからのびた足は白く、触らなくとも冷たかった。タオルケットをかけてやる。起きたらふたりでダストピットを見にいこうと思った。
今日はやはり水曜日だった。予感は当たっていた。
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