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【恋愛】【純文学】さくらかさね【青春小説】

  • 道後-10 (恋愛)
  • さくらかさね
  • 一福千遥
  • 書籍|文庫判(A6)
  • 136ページ
  • 400円
  • 2020/5/17(日)発行
  • 「あなたの思い出のなかの桜は、どんなふうに咲いてますか?」
    桜が彩り、ときに呼び水となる、なつかしくてやさしいふたつの物語。
    【桜東風】【今ひとたびの夢見草】の2話収録。

    【桜東風・あらすじ】
    滑り止めのさらに保険で受けた大学からしか来なかった「サクラサク」の知らせ。ふくれ面の俺が大学所在地の田舎町で最初に目をひかれたのは、桜だった──少年から青年へと成長する端境の四年間と、その渦中に放り投げられた俺の喜怒哀楽を彩ってくれた桜の物語。

    【今ひとたびの夢見草・あらすじ】
    うららかに桜の咲くころ、三人の老婦人が開くお茶会。この日のために用意した器にもお菓子にもひそむ、なつかしくもいとおしい記憶。歳月を経てもなお、たいせつに抱えてきた想いと分かちがたく結びつく桜が彩る、彼女たちの物語。




    【桜東風・おためしに冒頭部分をちょっとだけ】
     ……タタン──……タ、タタン──……

     間延びした電車の音をなんとなく耳にしながら、俺はぼんやりと、窓の外を眺めていた。

     うっすらと灰色の雲がかかる隙間から、傾いていく陽の光の名残が透けることで、ようやく黄昏時だと知る刻限。車内に六カ所ずつ配されている、四人がけ向かい合わせのシートのビロード地はとうにすり切れ、クッションもぺったんこで座り心地はおそろしく悪い。備えつけの灰皿に押し込まれた、煙草の匂いが染みついている窓枠に寄りかかるなり、電車ががくん、とおおきく揺れて、俺はしたたか頭を打ちつけてしまった。

     いてて……としかめ面をした顔の先、雨跡だらけのガラスの向こうは、何も植えられてない、田んぼだか畑だか分からない土地と、正真正銘の空き地とが交互に繰り返される平板な景色が広がっている。たまにぽつんぽつんと見える木々も、影絵の背景みたいに暗いせいで、ほんとうはどんな色なのかさえ分からない。

    「……ほんとに、見れば見るほど何もない田舎だな……」

     二時間ほど前に、たった一両しかないこの電車への乗り換え駅でつくづく見つめてしまった、スカスカの時刻表を思い出す。生まれてから十九年間を暮らした町もたいがい田舎だとは思っていたけれど、ここまではなかった──そう思えば思うほど、どうしてこんなところまで自分が来る羽目になったのか、それを見せつけられるような気がしてしまい、やり場のない溜息だけがこぼれてしまう。

    (今からでも、東京の第一志望の……いや、大阪の第二志望でもいい、補欠合格の通知が届けば、こっちを蹴ってそっちへ行くのに)

     この日のためにあつらえた紺のジャケットも、やわらかい着心地がくすぐったいベージュのスラックスも、これまでに乗ったどの電車よりも硬いシートとこすれ合い、強烈に皺だらけになりそうなのが、また憂鬱になる。

    (……晴れの日用に選んでくれたんだろうなあ、この服)

     そこでまた、どうして自分が、という気持ちと、努力不足だよと囁く理性の声が交差するのが苛立たしくなる。

     どうせ大学に進学するんだったら、花の大都会にある有名な大学に行ってやる。意気込みの割に勉強は疎かだったことを証するように、天狗の鼻はあっさりポキンとたやすく折られた。それでも親に泣きつき、もう一度だけと頼んで挑んだ今年も──サクラサク、の知らせが届いたのは、これから向かう町にあるちいさな私立の単科大学からだけだった。

     全国にひろがる数多の大学を紹介する分厚い本をパラパラ見ていると、国公立ほどではないけれど学費が安かったのと、ちゃんと手が届きそうな偏差値が目を引いて、滑り止めの滑り止め、さらに念のため保険をかけとこうかと出願するまで、校名は一度も聞いたことがなかった。そんな大学の合格通知と、予備校代やら世間体やらを両親はあれこれ算段した結果──これ以上の浪人生活は許さんという結論を下し、かくして俺は電車を三回も乗りついで、見知らぬ土地に向かっているのだった。

     まだ電気を点けるにはぎりぎり光のある時間と見なされているのか、時たま現れては過ぎていく人家もどこか暗く影を帯びて見える。そこに自分のムスッとしたふくれ面が重なるのだから、いよいよ不景気なことこのうえない。

     やってらんねーや、と背中を硬いシートに荒々しく預けはしても、さて──とっくに学費を振り込んでもらっている以上、いまさら入学を辞退するなんてことはできなかった。

    (これからずっとこんな、鬱々した気分で過ごすのか……)

     もう何十回、いや、百回目に近い溜息が腹の奥からこぼれそうになるのと、ほとんど同時だった。

     薄いピンク色がすうっ、と窓の向こうに見えたのは。




    【今ひとたびの夢見草・おためしに冒頭部分をちょっとだけ】

    「また桜の季節を三人で迎えられたわねえ、嬉しいわあ」

     ふくふくとした頬を娘さながらに紅く染め、老婦人は庭に咲きそろう、品種もとりどりな桜を見回し、はなやいだ声をあげていた。

    「ほんとにここの桜は、色とりどりにうつくしくて……春になればこの景色を見られるんですもの、最後に住まうなら有明館がいい、って申し込んだ甲斐があったわ」

     マホガニー色の重厚な柱の先、庭に面したテラス席に、ふわりと届く桜ひとひら。うんうん、とうなずく老婦人の横顔を見、繊細なレース編みのカバーがかけられた円卓の半周を囲むように座っているふたりの対照的な老婦人が、これまた対照的な笑みを浮かべた。

    「いくら桜が好きだからって、ハナガサさんったら淡いピンクのセーターに渋い深緑色のスカートって──ふふ、ごめんなさい、持ってこられた桜餅とおそろい」

     若い頃はさぞ、人目を惹く艶やかな美人だったろうと思わせるに足る老婦人の声に、

    「ナジマさんたら! ……私は春らしくて好きですよ、ハナガサさんの今日の装い」

     ショートヘアにした白髪に、黒のハイネックシャツとグレーのスラックスというシックな装いの老婦人が、銀縁眼鏡の奥の目をやわらかく細める。

    「ありがとうオオシマさん! それにひきかえナジマさんたら、今日のあたしの服が桜餅みたいなんて笑ってるけど──このあいだの自由外出日に立ち寄ったホテルのスイーツバイキング、桜餅にはじまって、桜をあしらったケーキやゼリーをあたしよりもよっぽどぱくついていたのは、他ならぬナジマさんでしょ?」

     この目でぱーっちり見たんだから、そう口にしたハナガサさんに、

    「甘いものは別腹、って昔から言うでしょ? 特に桜の季節の限定お菓子なんて、そのときしか出ないんだから、食べなきゃもったいないじゃない」

     食べ放題に無邪気に挑戦する女学生とかわらぬ調子で、ナジマさんは挑むように胸を張る。そんなふたりを見比べていたオオシマさんは、かるい溜息を噛み殺してから、

    「有明館で桜を見るのは何回目かしら……でも何回見ても、やっぱりきれいね」

     薄紅、雪白、また紅と、冠した名に恥じぬよう、とりどりに咲く庭の桜をうっとりと眺めはじめていた。そんなオオシマさんのおだやかな面差しに気づくなり、ナジマさんとハナガサさんも、じゃれ合いにも似た掛け合いの口を止め、春爛漫と庭をいろどる桜たちへと向き直る。


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