北極シャーベット諸島に程近い海域は冷たく強い海流が四方八方から入り乱れ、一般的に「甘い」海水がここでは「ひどく甘い」。
ほとんどシロップのごとき甘さを持つ海水は氷点下の気温によって瞬く間に凍り、脳髄まで痺れるような極上の氷砂糖を精製する。海面を覆う砂糖の塊は強い波によってお互いにぶつかり合い、砕け、溶けて、そうしてまた海水は甘くなる。そんな繰り返しが何年も何百年も続いた上に、この極北の白亜の世界は成り立っていた。
曇天は空気を乱し、ときに風を呼び、ときに雷を連れ、叩きつけるような粉砂糖の雪を降らせる。白に白を重ね、破壊と創生を繰り返す陸上は呆れるほど落ち着きがなかったが、反してひとたび海の底へと沈んでしまえば、耳の痛くなるような静寂が待っていた。
常に水温は零度以下の海である。生き物の姿は少なく、地味な色合いをした魚類と半透明の身体を持つ軟体動物、それにエビやカニなどの甲殻類が密やかに暮らす姿が垣間見える他はない。潮流によって不可思議な模様を描く砂地はどこまでも果てなく続くようで、無数の岩場には成長しきれない海草が流れに根を持っていかれぬよう、必死でしがみついていた。広がる景色は氷の隙間から差し込むわずかな光によって、ゆらゆらと歪んで見える。ただでさえ太陽が力強く顔を出すことの少ない場所だ。水中の世界は果てまで見通せず、すぐそこまでのつもりでも無限の闇へと踏み出すかのような心地がした。陽気にお喋りをするものも、華やかに振る舞うものも、鮮やかな色彩も何もない。ただ、白と黒の淡々とした世界がこの海のすべてだった。
だからこそ、彼にとってそこは好都合だったのだろう。
北極の海、静寂の果て。流れ着くものさえいない海の底にある岩礁に一人の人魚が暮らしていた。
グレーズに似た白銀の髪、真夏に振る舞うソーダ味のアイスのような澄んだ水色の瞳、それを縁取る繊細な睫毛、通った鼻筋、そして細工に使われる緑青色の飴のような鱗のきらめきに尾びれの透き通った色合いときたら!
誰もが垂涎する容姿を持つその雄の人魚は、けれども群れから離れて一人北の海で暮らしていた。歌を歌うことも、海の生き物たちと戯れることも、珊瑚楽器を奏でることも、船乗りを誘惑することもしない。貝のように沈黙し、孤独な生活を続けるのにはわけがある。
それは彼の、彼だけが持つ特異体質。即ちその両手で触れたもの、すべからく瞬時に凍りついてしまうがゆえに。
彼はひとりぼっちだった。生まれたときからずっと、物心ついたときからずっと。一人で生きてきた。一人で生きていく以外の選択肢などなかった。だって、ただ触れただけで相手を殺してしまう人魚のことなんて、誰が愛してくれようか。
(後略)こちらのブースもいかがですか? (β)
またまたご冗談を! 博物館リュボーフィ 灰青 藍色のモノローグ 午前三時の音楽 三日月パンと星降るふくろう ザネリ シアワセモノマニア 和菓子note Text-Revolutions準備会