第一話 金目当てですから
駅を出ると、雨が降っていた。すぐに止むだろうか? それとも、走って帰ろうか。
佐伯翼がひさしの下で思案していると。
「た、たすけてください……」
弱々しく助けを求める、男の声。見れば、金髪を長く伸ばしたニーチャンが、泣きそうな顔で翼を見ていた。外人だろうか? 身長は翼より、頭ひとつ分くらい高い。
「ノーノー」
思わず断りを言ってから、相手が日本語をしゃべっていたと気が付く。
「あれ、使いたいです。コイン入れて、鍵閉める」
男の指差す先には、コインロッカー。こんなに日本語が話せるのに、ロッカーの使い方はマスターできなかったらしい。
翼は元来不親切な人間だったが、雨で足止めを食らって暇だったので、男と一緒にロッカーの前に立つ。男がロッカーに突っ込んだのは、大事そうに抱えていた風呂敷包みだった。
「金入れればいいんだよ、ここに」
指を指して教えてやるが、男は首を振った。
「お金、無いのです。うちからまだ届いていなくて、僕は使えないのです」
ロッカーの使い方が解らないのではなく、金が無くて使えないだけだったらしい。翼は原則的に冷淡な人間だったが、男の様子があまりに情けなかったので、ポケットから百円玉を三枚出して投入。鍵を引っこ抜いて、男に放った。
「ありがとうございます!」
涙を浮かべて礼を言う男に、翼は背を向けた。雨はまだ降っていたけれど、感謝されるのが鬱陶しかった。だから、ひさしの下から抜け出して、家路に着いたのだった。
義父との折り合いが悪く、翼が家を飛び出して一人暮らしを始めてから、一ヶ月が経つ。母は未婚で翼を産み、その後、義父と知り合い結婚した。本当の父について、彼女は語らないけれど、翼は知っている。実父が人ならぬ者だということを……。
狭いアパートに戻り濡れた髪をタオルで拭っていると、携帯電話が震えた。着信には『あいつ』と出ている。『あいつ』は実父だ。翼は眉を顰めたが、電話を取った。
「なんだよ」
無愛想な応対に、電話の向こう側は涼しい声で話しかけてきた。
「金は欲しいか?」
「はぁ? 小遣いくれんの?」
義父はとことん翼が嫌いらしく、更に母は義父の顔色を気にするので、仕送りはなかった。彼らがくれるのは、高校の学費のみである。
「金を手に入れる、機会をやる。いいか、これから五分後に、玄関から外に出るのだ。駅に向かって歩いていくと途中に公園があるだろう? そのベンチに男が座っているから、傘を差しかけてこう言え。俺でよかったら力になります、とな」
意味がわからない。
「それで金が貰えるってのかよ」
「男が金を持っている。どう引き出すかは、お前次第だがな……」
ぷつりと、通話が切れた。実父は翼から電話をかけても、いつだって無視を決め込む。だから今回も、折り返したって無駄だろう。質問も要望も『あいつ』は受け付けないのだ。
金は欲しい。アパートの部屋は殺風景で、カサカサに乾いて見えた。
五分待って、翼はアパートを出た。ビニール傘を差して、公園を目指す。
小さな公園に子供たちの姿は無い。茶色いベンチで、しょんぼりと肩を濡らしながら座り込んでいる男だけが、そこにいる人間だった。
翼は男から少し離れたジャングルジムの脇で、足を止める。その男は、駅で翼に三百円を無心した奴だ。そんな奴が金を持ってるなんて、『あいつ』は何を言っているんだ?
けれど、『あいつ』は人ならぬ者だ。母の結婚もその腹から弟が生まれることも、予言して的中させたのだ。だったら、あの男から金が取れるというのも、本当かもしれない。
翼は男に歩み寄り、傘を差しかけた。男ははっと顔をあげ、翼を見つめる。深いブルーの瞳だった。