旅立ちは突然に
はるかはるか天上に、天界と呼ばれる世界がある。
そこは、我々が暮らす地上界を見守っている神々が住む世界。そこには、皇大御神という神様がいた。穏やかな表情をした美しい女神で、天界に暮らす神々達を創造したとされる、すべてを統べる神様だ。
大御神が見守る地上界は、豊な自然の恵みにに溢れていて、苦しみや憎しみの存在しない、それはそれは美しくも幸せな世界だった。
所がその美しい世界に、ある時から疫病や災害などが起こるようになった。犯罪や貧困も生まれた。地上界に住む人々は苦しんだ。
地上界に巣食う様になったそれらの苦しみは、「魔」と呼ばれた。「魔」が広がると、それらを餌に妖魔と呼ばれる化け物が生まれた。妖魔たちは地上界の人々を襲い、ますます地上界の人々を苦しめた。
「早く魔を浄化しなくては」
大御神は宮殿の広間で大きな鏡を見つめていた。煌びやかな衣装を身にまとった自分の姿を見ていた訳ではない。そこには地上界の様子が映し出されていた。
「近頃、急激に魔の力が増している様に感じませんか?」
大御神は、自身の肩の上に乗っている虹色の羽をした美しい鳥に語りかけた。鳳凰と呼ばれる、非常に珍しい鳥だった。
彼女は美しいものが好きなのだ。美しい鳳凰はお気に入りでいつも傍に置いていた。
美しいものといえば、地上界に対しても同じ様に美しくあって欲しかったのに、この様に魔の広がりによって汚されてゆくのは、大御神にとって許しがたい事態だった。
しかし大御神は、魔の広がりをただ傍観していた訳ではない。ある計画を考えていた。
「お呼びですか、大御神さま」
広間にひとりの青年と、輝く金色の髪の少女が入ってきた。
青年の方は二十代半ばの外見をしているが、何千年という年月を生きる天界の神の一人だった。
長い黒髪を後ろで束ね、女性の様な繊細な顔立ちをしている。
少女の方は、大御神が光の粒から生み出した巫女だった。「輝の巫女」と呼ばれ、生まれながらにしてある重要な任務を負わされた彼女の教育は、一緒にいる青年が任されていた。
「青竜、桜、」
と、大御神はこの青年と少女を呼んだ。
「どうやら時が来たようです」
「時、と言いますと?」
青竜が問いかける。
「封魔の儀です。早急に執り行う必要があります」
「ええっ」
青竜は戸惑った。
――封魔
これこそが、大御神の考えている計画である。
地界に降り立ち、崑崙という、西方の聖地で魔を封じる術式を行うのだ。
その術式を行うために生み出されたのが輝の巫女である桜だった。
「しかし大御神様、桜様はまだ十四才なのですよ? 封魔の儀どころか、崑崙へだって辿り着けるかどうか……」
青竜は戸惑いながらこう答えたが、桜はお構いなしに言った。
「分かりました。やります!」
「さ、桜様!」
「私なら大丈夫です。崑崙への旅は四(し)聖(せい)達がサポートしてくれるのでしょう?」
四聖とは、青竜の他にそれぞれ「玄(げん)武(ぶ)」「白(びゃっ)虎(こ)」「朱雀(すざく)」と呼ばれる神々で、輝の巫女と共に封魔の儀を行う任務を負っていた。
「しかし、桜様、今天界には四聖は私しかいないのですよ?」
青竜以外の四聖達は、地上界へ出かけていて不在だったのだ。彼らがいつ帰ってくるのかは分からない。桜の代わりに、大御神がこう続けた。
「時は一刻を争います。四聖達とは旅をしながら合流しなさい」
「では、私と桜様二人だけで旅に出ろと?」
青竜が不安そうな顔をしていると
「では、鳳凰を貸しましょう」
と、大御神が言った。
「鳳凰、青竜と輝の巫女と伴に地界へ行って、四聖達を探し出すのを手伝ってあげなさい」
大御神がそういうと、肩から虹色の鳥が飛び立った。くるりと空中で一回転すると、ふわりと青竜の前に赤い髪の青年が降り立った。鳳凰が人へと変化したのだ。
外見は二十歳前後といった所で、青竜よりも少し若く見える。と言っても、鳳凰は何百年という年月を天界で過ごしていた。
「まったく、しょうがねぇな」
鳳凰は青竜の顔を覗き込みながら呟いた。整った切れ長の目には淡い薄緑の瞳が悪戯っぽく輝いている。青竜よりも幼さが残る顔立ちをしているが、身長はスラリと高く、人の形をした鳳凰もまた美しかった。
「ま、宮殿の中に閉じこもってるよりも面白そうだからいいけどな。そうと決まったらさっさと準備に取り掛かろうぜ」
そう言ってから鳳凰はもう一度鳥の姿に変化すると、広間の外へと飛び立って行った。