路の端で守衛に誰何(すいか)されたミーナは、失敗した、と心中で悔やんだ。
誰にも知られないようにするためわざと夕刻を狙い、頭巾付きの外套を羽織り、俯きながら街の外側を歩いていたというのに。
目立たぬようにしていたことが反対に不自然に映ったのかもしれない。小さな街だ、住人でない者はすぐに眼についてしまうのだろう。警戒心が強いというよりここは排他的な土地柄なのだ。ミーナは後悔に唇を噛む。
次第に荒くなる守衛の声を聞きつつ、どうやってこの場を切り抜けようかと考えていると、
「ここでなにをしているのか聞いているんだ!」
守衛が乱暴にミーナの頭巾を剥ぎ取った。瞬間、頭上で息を呑む音が聞こえ見開かれた眼が恐怖に揺れる。ミーナを見て、怯えている。
「あの」
不意に聞こえた声に守衛が弾かれたように振り返る。ミーナも声のした方へ視線を投げた。
薄闇のなか、その青年はいた。残光に照らされた頭髪が橙色に染まっている。陽射しの下で見ればきっと美しい白金なのだろう。下がり気味の目元はどことなく弱々しい印象を受けるが、じっとこちらを見つめる深緑(しんりょく)の瞳は強い意思を覗かせていた。買い物帰りなのか抱える紙袋から食材らしきものが覗いている。
「なにかあったんですか?」
青年の問いに守衛はわずかに戸惑った様子で答えた。
「これはエメリッヒさん。いやなに迷子の子どもがいたようだから、どうしたのか事情を尋ねていただけさ……おっと、そろそろ仕事も終了だ。失礼するぜ」
守衛は青年の返答も待たず足早に駆けて姿を消した。
『迷子の子供』をそのまま放って帰るはどうなのだろう。嘘を並べるにしてももっと言いようがあるだろうに。
ミーナは呆れて嘆息する。けれど良かった、という安堵の気持ちが大きかった。このまま身柄を拘束されては目的が果たせなくなるところだった。
と、安心した途端力が抜けて地面に座り込んでしまった。道中での無理が祟ったのだろうか、脱力した身体に力が入らない。
身体中に走る痛みに顔を歪めていると、にゅっと伸びた腕に気がついた。
間近で心配そうな表情をした青年が手を差し伸べていた。眉間にわずかな皺を寄せミーナを憐れむような瞳で見つめている。「お前、どこから来た。名前は?」
スフィルの問いかけに暗闇のなか小さな身体が竦んだのがわかった。恐るおそるといった風情で顔をあげたのは十四のスフィルより五つほど年下に見える、ひとりの子どもであった。
警戒するように大きく見開く瞳は黄金色で、この辺りでは珍しい白肌のまろい輪郭はあどけなさを帯びている。頭を覆う薄布から覗くのはスフィルと同じく癖の強い黒髪で、それはやわらかく夜風に流れる。身を包む貫頭衣(かんとうい)の裾を握り、唇を噛みしめる姿からは、この子どもが男なのか女なのかスフィルには判別ができなかった。
元々ひとに興味が持てない性質のスフィルである。まだ幼い子どもの性別など見分ける以前の問題だった。
だからこの子どもに思わず声をかけたのは自分でも意外だった。なぜか眼を惹かれ身体が勝手に動いていたのだ。
「口がきけねえわけじゃねえんだろ。名前ぐらい名乗れよ」
動くことを忘れたようにスフィルを見つめていた子どもは、やがて小さな唇を震わせ心にしんと深く沈むような、夜の星を思わせる声を発した。
「……ぼく、は……アルファルド」
*
昼間の熱気が少しずつ上昇し、そのかわり夜の寒さはいくらか和らいできていた。そろそろ隊商が砂漠の旅を始める頃合いだ。冬の気配が遠ざかっていくのをスフィルは体感する。仕事がしやすい気候になってきたのだ。
屍食鬼(グール)退治を生業としているスフィルにとってもありがたい時季だった。彼らの活動が活発になるのは冬を越えてからだ。収入を得るための方法をスフィルは退治屋しか知らない。十に満たない頃からその道に立っていたスフィルにとって、屍食鬼退治は彼のすべてになっていた。
ひとも屍食鬼も日中の活動を控えるのは、灼熱の太陽の下では等しく体力を奪われるからだった。とくに屍食鬼は気温の低くなる夕方から行動を開始することがほとんどだ。それを狙って仕留めるのは退治屋の常套手段であった。
砂岩の壁が並ぶ狭く入り組んだ通路に乾いた風が吹き抜ける。眠りにつく太陽が最後の足掻きとばかりに地平にしがみつき、赤の残滓を一面に塗りこめていく。砂塵をやりすごしながらスフィルは通路の壁に背を預け、折れた道の先に視線を移す。