「『恒星と我らが星の距離は年々吸い寄せられるかの様に近付き、地上は枯れ、人々は開発された地下都市に住居を求めた。しかしその大地も、利便が求められた故に居住出来ない程毒され、今やこの星に、人の生きる道は無いに等しい。愚かな彼等は我々と道を違い、有るだけの食料を寄せ集め、小船に乗って見果てぬ惑星を夢見る旅に出た』…これ、どう思う?」
彼女はそこで、初めて彼の朗読が彼女に向けられた物であると気付いた。読みかけの本に、自らの纏う着物と同じ唐紅色の紐で出来た栞を挟み、彼の方を無表情のまま向く。
「今の状況を仰々しく虚実入り雑じりに記している…と言ったところでしょうか」
余計な言葉を含まない彼女の澄んだ声に彼は満足してから、ふと陰鬱な表情を浮かべて、わざとらしく溜め息を吐いた。
「そう…虚構にも、事実にも近付かない。しかも悪い事に、どうしても幸福な結末が訪れてくれないんだよ」
彼が彼女を見詰めながら呟く台詞に、彼女は応えず空を仰いだ。何処からか、獣の様な鳥の囀りが響いている。彼の眼鏡越しの視線はいつ何時であろうと、感情を殆ど映し出さない彼女の目には通じない。
彼等の居場所を覆うビニールを通して臨める青空は、心なしかくすんでいる。降り注ぐ陽光は常に一定で、着ている白い開襟シャツに勝るとも劣らぬ彼の白い肌は、もう長い間病的なままで変化が見られない。
慣れている事だ。
と、彼は肉の付いていない肩を竦めて、彼女からの返答を諦めた。そして彼女の輪郭を引き立てる背景の椰子や、青く茂る南方植物へと視線を移す。その木は日光を浴びて、憎らしい程伸び伸びと成長している。
特殊な樹脂で出来た壁や天井に囲まれた彼等の庭は、外界とは全く違った風景を作っていた。沢山の植物が育っているので、二人の人間は干からびず、また、腰掛けている白い椅子や、彼の眼前に在る白い円卓に置かれた原稿用紙も発火したり、みるみる内に風化する、という事は無かった。
「幸福な結末が訪れないのは、いつもの事ではありませんか」
不意に彼女が口をきいて、呆やりとしていた彼は我に返った。
「大団円など夢にも思っておりません。行き着いたところでそれは大惨事でしょう。ならば、より良くなるよう、またやり直せば良いのです」
彼を真っ直ぐ見据えながら諭す様に言った彼女に、彼は躊躇う様に開口する。
「…でも君は、毎回錯誤ばかりの試行に付き合わされているのだよ?」
「自棄に弱腰ですね、」
彼女はそこで、初めてその整った顔に微笑を湛えた。
「私には拒否出来ないと言うのに」
ごお、と、ビニールハウスの中に吹く筈のない風が巻き起こった。女にしては短めである彼女の黒髪が一瞬だけ舞って、彼女は目を伏せる。長い睫毛が影を落として際立った。
「待っててくれ、書き直すから…今度は水に困らない方が良いな」
彼の目は俄に生気を帯び始めている。彼は原稿用紙を新たに取り出して、鉛筆を握り直した。
僕らの幸福な結末の為に。
彼は声を出さずに呟いて、右手を動かし始めた。
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