ほんとうはずっと引き留めてくれることを望んでいただなんて、我ながら浅ましい話だとは思うのだけれど。
「じゃ、そろそろ帰んね」
はりついたような喉の奥を震わせて、返事なんてあるわけないのを知りながら力なくそう呟く。それでもいつだって、いつもと違う『答え』を期待していた。
浅はかなそんな望みは、いつだって叶うことなどあるはずもないまますぐさま潰えてしまうのだけれど。
することを済ませてしまえば―用済みになれば、もうここにいられる理由はなくなる。どこか自嘲気味なそんな思いに駆られながら、逃げるような心地で部屋を後にする。目を逸らしたまま話をすることはちっとも好きじゃないのに、この時だけはいつも、目を合わせないようにする。
―置き去りにされた子どもみたいな、ひどく苦しげなまなざしをしていることに気づいたからだ。
(でもわかんないじゃん、どうしたらいいのかなんて)
追いつめるような熱を秘めたままこちらを捕らえてやまないゆらぐまなざしに、きつく引き寄せて輪郭をたぐり寄せ、芯から揺らがせてくれる指先に、重ね合わせれば合わせるほどに熱くやわらかに沈んでいく肌の感触に―そのすべてに、どうしようもなく焦がれていた。
明け渡せば渡すほどに、どこかためらいながら、それでもあますところなどない熱を溶かしてくれるその態度を前にする度、より心をきつく絡め取られていくのを感じていた。
肉欲に逃げ込んでいるだなんて言われれば、反論の余地なんてあるわけもない。それでも、必要としてもらえるだけでそれで構わなかった。どうやら周にとっては『都合の良い』姿形をしているらしい自身の入れ物に、どこか誇らしさすら感じたほどだ。
(周は俺の身体が好き。たぶんそれ以外はいらない)
(俺は周のぜんぶがほしい。周はきっとそれが怖い)
ごくごくシンプルな、それ故に単純明快なすれ違いだった。絵に描いたような不一致、それ以上でもそれ以下でもない。
問題はばかみたいにあきらめが悪いことと、『好き』でいてもらえることをやすやすと手放せないこと。
だってそりゃあ、どんなに歯車が噛み合わなくたって、好きな相手に必要とされていることには代わりはないのだから。
「また連絡すんね、都合悪かったら言って」
「……ん」
「じゃあまたね、周」
投げおいたかばんを手にして、いつもみたいに答える。送らなくていいとはっきりそう言ったきり、玄関まで見送ってくれることはなくなった。少し寂しいけれど、望んだとおりのことなのだから。
それでもいつも忘れないのは、「またね」のたった三文字に込めたせめてもの願い。
また会ってくれる、一緒にいてくれる。求めてくれる。
それだけでいい、それで充分だった。それ以上求めたって仕方のないことくらいわかっているから。
好きな相手にほんとうに好きになってもらえないのが苦しい。
それでも、不満をあらいざらいぶつけて必要とすらしてもらえなくなったら、何よりもそれがいちばん苦しい。
気安く笑ってきづかないふりをしてやり過ごす―それが、自分に選べる最良の選択肢だとそう信じていた。だって、そうすれば少なくとも飽きられるまでは一緒にいてくれるはずだから。
「……周」
履き潰したスニーカーのかかとに、無理矢理に押し込めるように足を入れながら力なく呟く。たったの三文字の、それでも、とても大切なその名前を。
「どした」
「……ごめん、何か言おうと思ったけど忘れた。思い出したら話す」
振り向かないまま、ほんとうに言いたいことをぐっと飲み込む。握りしめたドアノブの感触がいやに冷たい。